『妙法蓮華経・観世音菩薩普門品』(略して『普門品』)は主に観世音菩薩の衆生救済における偉大な願力と霊験を説き、信仰と観世音菩薩の名号を称えることによって解脱と救済を得る方法を説明しています。
『普門品』の重要なポイント
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観音菩薩の慈悲の力:
- 毒蛇、悪獣、天災などの様々な危難から衆生を救護できる。
- 生老病死などの苦しみを含む世間の苦難を解消できる。
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観音菩薩の智慧:
- 清浄で広大な智慧観を持つ。
- 世間を照らし、暗闇と無明を払うことができる。
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観音菩薩の神通力:
- 十方世界に現れて衆生を救済できる。
- 嵐や炎などの災難を鎮めることができる。
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観音菩薩の名号の功徳:
- 観音菩薩の名号を唱えることで保護と救助を得ることができる。
- 訴訟、戦争などの危険な状況で、危機を解消できる。
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観音菩薩の音声:
- 観音菩薩の声は殊勝で、世間のあらゆる音声を超越している。
- 梵音、海潮音などの美しい音声に例えられる。
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観音菩薩への信心と礼敬:
- 人々に観音菩薩への堅固な信心を持ち、疑わないよう励ます。
- 常に観音菩薩を憶念し、礼拝すべきである。
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聞法の功徳:
- 観音菩薩品を聴聞することで大きな功徳を得ることができる。
- 仏がこの品を説いた時、多くの衆生が成仏の心願を起こした。
この経文は主に観世音菩薩の大慈大悲と広大な法力を説き、観音菩薩の名号を唱えることの重要性、そして観音菩薩への信仰が人々に慰めと救護をもたらすことができることを強調しています。また、この経文を聴聞し学ぶことで得られる殊勝な功徳も強調しています。
読経参考動画
YPT68『観世音菩薩-普門品頌』心の音楽|リラックス音楽|仏教音楽|禅修音楽|太極拳背景音楽>無痕加長珍蔵版 -2時間
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週末読経:愛する父母親族のために経を読み、安楽解脱を回向する。今日は心経、普門品、阿弥陀経、楞厳経第七巻を読誦
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『観世音菩薩普門品』完全経文
その時、無尽意菩薩は即座から立ち上がり、右肩を露わにし、合掌して仏に向かってこう言った:「世尊!観世音菩薩はどのような因縁で観世音と名付けられたのですか?」仏は無尽意菩薩に告げられた:「善男子よ!もし無量百千万億の衆生が諸々の苦悩を受け、この観世音菩薩の名を聞いて、一心に名を称えれば、観世音菩薩は即時にその音声を観察し、皆解脱を得る。もしこの観世音菩薩の名を持する者が、大火の中に入っても、火はこれを焼くことができない。これはこの菩薩の威神力によるものである。もし大水に流されても、その名号を称えれば、即ち浅い所を得る。もし百千万億の衆生が金銀瑠璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、真珠などの宝を求めて大海に入り、もし黒風が其の船舶を吹いて羅刹鬼国に漂着させても、その中にたとえ一人でも観世音菩薩の名を称える者があれば、これらの人々は皆羅刹の難から解脱することができる。このような因縁で観世音と名付けられたのである。」
「もしまた人が殺されそうになった時、観世音菩薩の名を称えれば、その執る刀杖はたちまち段々に壊れて、解脱を得る。もし三千大千国土に満ちる夜叉羅刹が人を悩まそうとしても、その観世音菩薩の名を称えるのを聞けば、これらの悪鬼は悪眼をもってさえ見ることができず、まして害を加えることができようか?」「たとえまた、ある人が、罪があろうとなかろうと、杻械枷鎖によって身を検束されても、観世音菩薩の名を称えれば、皆悉く断壊して、即ち解脱を得る。もし三千大千国土に満ちる怨賊があり、一人の商主が諸々の商人を率いて重宝を携え持って険路を経過する時、その中の一人がこう唱えた:『諸善男子よ!恐れることなかれ。汝等は一心に観世音菩薩の名号を称えるべきである。この菩薩は能く衆生に無畏を施す。汝等もし名を称えれば、この怨賊から解脱することができるであろう。』衆商人はこれを聞いて。共に声を発して言う:『南無観世音菩薩!』その名を称えたため、即ち解脱を得た。」
「無尽意よ!観世音菩薩摩訶薩の威神の力は、このように巍々たるものである。もし衆生が淫欲に多い者は、常に観世音菩薩を念じ恭敬すれば、欲を離れることができる。もし瞋恚に多い者は、常に観世音菩薩を念じ恭敬すれば、瞋を離れることができる。もし愚痴に多い者は、常に観世音菩薩を念じ恭敬すれば、痴を離れることができる。」
「無尽意よ!観世音菩薩にはこのような大威神力があり、多くの利益をもたらす。それゆえ衆生は常に心に念じるべきである。もし女人で男子を求めようとする者が、観世音菩薩を礼拝供養すれば、福徳智慧の男子を生む。もし女子を求めようとする者は、端正で相好ある女子を生み、宿世に徳本を植えた者は衆人に愛敬される。無尽意よ!観世音菩薩にはこのような力がある。もし衆生が恭敬して観世音菩薩を礼拝すれば、福は空しくならない。それゆえ衆生は皆観世音菩薩の名号を受持すべきである。」
「無尽意よ!もし人が六十二億恒河沙の菩薩の名字を受持し、さらに命終まで飲食、衣服、臥具、医薬を供養したならば、汝の意に於いてどうか?この善男子善女人の功徳は多いか?」無尽意は言った:「甚だ多し!世尊!」仏は言われた:「もしまた人が観世音菩薩の名号を受持し、乃至一時礼拝供養すれば、この二人の福は、正しく等しくして異なることなく、百千万億劫を尽くしても窮め尽くすことはできない。無尽意よ!観世音菩薩の名号を受持すれば、このような無量無辺の福徳の利を得る。」
「無尽意菩薩は仏に白して言った、世尊よ、観世音菩薩は、どのようにしてこの娑婆世界を遊化し、どのようにして衆生のために法を説き、方便の力は、その事どのようなものですか?」
仏は無尽意菩薩に告げられた、善男子よ:「もし国土の衆生の中に、仏身によって度すべき者があれば、観世音菩薩は、即ち仏身を現して為に法を説く。」
辟支仏の身によって度すべき者があれば、即ち辟支仏身を現して為に法を説く。
声聞の身によって度すべき者があれば、即ち声聞身を現して為に法を説く。
梵王の身によって度すべき者があれば、即ち梵王身を現して為に法を説く。
帝釈の身によって度すべき者があれば、即ち帝釈身を現して為に法を説く。
自在天の身によって度すべき者があれば、即ち自在天身を現して為に法を説く。
大自在天の身によって度すべき者があれば、即ち大自在天身を現して為に法を説く。
天大将軍の身によって度すべき者があれば、即ち天大将軍身を現して為に法を説く。
毘沙門の身によって度すべき者があれば、即ち毘沙門身を現して為に法を説く。
小王の身によって度すべき者があれば、即ち小王身を現して為に法を説く。
長者の身によって度すべき者があれば、即ち長者身を現して為に法を説く。
居士の身によって度すべき者があれば、即ち居士身を現して為に法を説く。
宰官の身によって度すべき者があれば、即ち宰官身を現して為に法を説く。
婆羅門の身によって度すべき者があれば、即ち婆羅門身を現して為に法を説く。
比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の身によって度すべき者があれば、即ち比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷身を現して為に法を説く。
長者、居士、宰官、婆羅門の婦女の身によって度すべき者があれば、即ち婦女身を現して為に法を説く。
童男童女の身によって度すべき者があれば、即ち童男童女身を現して為に法を説く。
天龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等の身によって度すべき者があれば、即ち皆それを現して為に法を説く。
執金剛神によって度すべき者があれば、即ち執金剛神を現して為に法を説く。
「無尽意よ!この観世音菩薩はこのような功徳を成就し、種々の形をもって諸国土を遊化し、衆生を度脱する。それゆえに汝等は一心に観世音菩薩を供養すべきである。この観世音菩薩摩訶薩は、怖畏急難の中において無畏を施すことができる。それゆえにこの娑婆世界では皆これを施無畏者と号する。」
「無尽意菩薩は仏に白して言った:『世尊よ!私は今、観世音菩薩に供養いたしましょう。』即ち頸の衆宝珠の瓔珞、価値百千両の金に値するものを解いて、これを与えてこう言った:『仁者よ!この法施の珍宝瓔珞を受け取ってください。』その時、観世音菩薩はこれを受け取ろうとしなかった。無尽意は再び観世音菩薩に白して言った:『仁者よ!私たちを愍れんで、この瓔珞を受け取ってください。』その時、仏は観世音菩薩に告げられた:『この無尽意菩薩及び四衆、天龍夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等を愍れんで、この瓔珞を受け取るべきである。』
「即時に観世音菩薩は諸四衆及び天龍、人非人等を愍れんで、その瓔珞を受け取り、二分に分けた:一分は釈迦牟尼仏に奉り、一分は多宝仏塔に奉った。無尽意よ!観世音菩薩にはこのような自在神力があり、娑婆世界を遊化する。」
その時、無尽意菩薩は偈を以て問うて言った:
世尊妙相具,われ今重ねて彼に問う
仏子は何の因縁により,観世音と名づけられしや
妙相を具足せる尊,偈をもって無尽意に答えたまう
汝、観音の行いを聴け,よく諸方に応ずるところを
弘誓は海の如く深く,劫を経て不思議なり
多くの千億の仏に侍し,大いなる清浄なる願を発す
われ汝のために略説せん,名を聞き及び身を見て
心に念じて空しく過ぎず,能く諸々の苦を滅す
たとえ害意を起こし,大火坑に推し落とすとも
かの観音の力を念ずれば,火坑は池と変ずる
あるいは巨海に漂流し,龍魚諸鬼の難に遭うとも
かの観音の力を念ずれば,波浪も没することあたわず
あるいは須弥峰にありて,人に推し墜とされんとも
かの観音の力を念ずれば,日の如く虚空に住す
あるいは悪人に逐われ,金剛山より墜落するとも
かの観音の力を念ずれば,一毛をも損ずることあたわず
あるいは怨賊に囲まれ,各々刀を執りて害せんとするも
かの観音の力を念ずれば,咸く即ち慈心を起こす
あるいは王難の苦に遭い,刑に臨みて命終わらんとするも
かの観音の力を念ずれば,刀は尋ちに段々に壊る
あるいは囚禁され枷鎖され,手足に杻械を被るとも
かの観音の力を念ずれば,釈然として解脱を得る
呪詛や諸毒薬,身を害せんと欲する者も
かの観音の力を念ずれば,還って本人に著く
あるいは悪羅刹,毒龍諸鬼等に遇うとも
かの観音の力を念ずれば,時に悉く害することを敢えてせず
もし悪獣に囲まれ,利牙爪恐るべきも
かの観音の力を念ずれば,疾く無辺の方に走る
蚖蛇及び蝮蠍,気毒煙火の燃ゆるも
かの観音の力を念ずれば,尋ちに声に随いて自ら去る
雲雷鼓掣電,雹を降らし大雨を澍ぐも
かの観音の力を念ずれば,応時に消散を得る
衆生困厄に遭い,無量の苦身を逼るも
観音の妙智力は,能く世間の苦を救う
神通力を具足し,智方便を広く修す
十方の諸国土,現身せざる剎なし
種々の諸悪趣,地獄鬼畜生
生老病死の苦,以て漸く悉く滅せしむ
真観清浄観,広大智慧観
悲観及び慈観,常に願い常に瞻仰す
無垢清浄の光,慧日諸闇を破り
能く災風火を伏せ,普く明らかに世間を照らす
悲体戒雷震い,慈意妙大雲
甘露の法雨を澍ぎ,煩悩の焔を滅除す
諍訟官に経る処,怖畏軍陣の中
かの観音の力を念ずれば,衆怨悉く退散す
妙音観世音,梵音海潮音
世間の音に勝れたり,是の故に須く常に念ずべし
念々に疑いを生ずることなかれ,観世音浄聖
苦悩死厄において,能く依怙と為る
一切の功徳を具足し,慈眼もて衆生を視る
福聚海無量なり,是の故に応に頂礼すべし
その時、持地菩薩は座より立ち上がり、仏の前に進み出て申し上げた:「世尊よ!もし衆生がこの観世音菩薩品を聞き、自在の業と普門示現の神通力を知れば、その人の功徳は少なくないでしょう。」仏がこの普門品を説かれた時、会衆の中の八万四千の衆生は皆、無上正等正覚の心を発した。
『観世音菩薩普門品』の白話文翻訳
その時、無尽意菩薩は座より立ち上がり、右肩を露わにし、合掌して仏に向かって言った:「世尊!観世音菩薩はどのような因縁で観世音と名付けられたのですか?」仏は無尽意菩薩に告げられた:「善男子よ!もし無量百千万億の衆生が諸々の苦悩を受け、この観世音菩薩の名を聞いて、一心に名を称えれば、観世音菩薩はすぐにその音声を観て、皆解脱を得るであろう。もしこの観世音菩薩の名を持する者があれば、たとえ大火の中に入っても、火はこれを焼くことができない。この菩薩の威神力によるのである。もし大水に漂わされても、その名号を称えれば、すぐに浅い所を得る。もし百千万億の衆生が金銀瑠璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、真珠などの宝を求めて大海に入り、黒風がその船舶を吹いて羅刹鬼国に漂着させても、その中にたとえ一人でも観世音菩薩の名を称える者があれば、これらの人々は皆羅刹の難から解脱することができる。このような因縁で観世音と名付けられたのである。」
昔々、美しい仏国浄土に、無尽意という菩薩がいました。ある日、彼の心に突然疑問が湧き、立ち上がって、恭しく仏に尋ねました:
「世尊、私はずっと不思議に思っていたのですが、なぜ観世音菩薩はこのような名前なのでしょうか?」
仏は微笑んで答えられました:「善き子よ、この名前の背後にある物語を話してあげましょう。」
仏は語り始めました:「この世界には、様々な苦しみを受けている無数の衆生がいます。彼らが真心を込めて観世音菩薩の名を呼ぶとき、菩薩はすぐにその声を聞き、彼らを困難から救い出すのです。」
「想像してごらんなさい」と仏は続けました。「もし誰かが誤って燃え盛る火の中に落ちても、心から観世音菩薩の名を呼べば、炎は彼を傷つけることができません。これが観世音菩薩の不思議な力なのです!」
「また例えば」と仏は別の例を挙げました。「もし誰かが不幸にも洪水に流されても、危機の時に観世音菩薩を呼べば、安全な浅瀬を見つけることができます。」
仏はさらに言われました:「大海でさえ、もし何千何万もの人々が宝を求めて出航し、恐ろしい嵐に遭って、船が人食い羅刹の島に吹き寄せられても、船の中の一人でも観世音菩薩の名を呼べば、全員が危険から逃れることができます。」
最後に、仏は結論付けました:「まさに観世音菩薩が衆生の呼びかけを聞き、助けを与えることができるからこそ、私たちは彼を『観世音』と呼ぶのです。」
もし人が害されそうになったとき、観世音菩薩の名を称えれば、その執り持つ刀杖はたちまち段々に壊れ、解脱を得ることができる。もし三千大千国土に満ちる夜叉羅刹が人を悩まそうとしても、その観世音菩薩の名を称えるのを聞けば、これらの悪鬼は悪眼をもって見ることすらできず、まして害を加えることなどできようか?もし人に罪があろうとなかろうと、杻械枷鎖によって身を繋がれても、観世音菩薩の名を称えれば、すべて断ち壊れ、すぐに解脱を得る。もし三千大千国土に満ちる怨賊があり、一人の商主が諸々の商人を率いて重宝を携え、険しい道を通るとき、その中の一人がこう唱えた:善男子たちよ!恐れることはない。汝らは一心に観世音菩薩の名号を称えるべきである。この菩薩は衆生に無畏を施すことができる。汝らがその名を称えれば、この怨賊から解脱することができるだろう。諸々の商人はこれを聞いて、共に声を上げて南無観世音菩薩と唱えた。その名を称えたことにより、すぐに解脱を得た。
仏は観世音菩薩の不思議な力について語り続け、その声は慈悲と智慧に満ちていました:
「想像してごらんなさい」と仏は言われました。「もし誰かが命の危険に直面し、悪人が刀や棒で傷つけようとしているとき。このとき、その人が心から観世音菩薩の名を呼べば、それらの武器はたちまち粉々に砕け、彼を傷つけることはできません。」
「さらに、巨大な国の中で」と仏は続けました。「人々を傷つけようとする恐ろしい妖怪たちがいても、誰かが観世音菩薩の名を呼ぶのを聞けば、これらの妖怪たちはその人を恐ろしい目つきで見ることさえできず、まして傷つけることなどできません。」
仏は別の例を挙げました:「時には、罪の有無にかかわらず、牢に閉じ込められ、重い鎖をつけられることがあります。しかし、その人が心から観世音菩薩の名を呼べば、それらの鎖は突然断ち切れ、自由を取り戻すことができます。」
そして、仏は興味深い物語を語りました:「商人たちが貴重な宝物を持って、危険な道を通らなければならなかったとき、その道には至る所に悪人がいました。このとき、賢い商人の一人が皆に言いました:
友よ、恐れることはない!共に心を一つにして観世音菩薩の名を呼びましょう。菩薩は私たちに勇気を与え、危険から救ってくださいます。」
「そこで」と仏は言われました。「商人たちは皆で声を合わせて:
南無観世音菩薩!と唱えました。」
「このようにして」と仏は微笑んで言われました。「彼らは本当に安全に危険を乗り越え、悪人の脅威から逃れることができたのです。」
無尽意よ!観世音菩薩摩訶薩の威神の力は、このように偉大なのです。もし衆生が淫欲に溺れていても、常に観世音菩薩を念じ恭敬すれば、欲から離れることができます。もし瞋恚が多くても、常に観世音菩薩を念じ恭敬すれば、瞋から離れることができます。もし愚痴が多くても、常に観世音菩薩を念じ恭敬すれば、痴から離れることができます。
仏は無尽意菩薩に観世音菩薩の不思議な力について語り続けました。その声には讃嘆と慈悲が満ちていました:
「無尽意よ」と仏は優しく言われました。「観世音菩薩の神通力は、このように強大で、畏敬の念を起こさせるものです。」
そして、仏は説明を続けました:「私たちの世界には、様々な煩悩に悩まされている人々が大勢います。」
「例えば」と仏は例を挙げました。「欲望に悩まされ、物事に集中できない人々がいます。しかし、彼らが常に観世音菩薩のことを思い、真心を込めて菩薩を敬えば、徐々にそれらの欲望から解放されていくでしょう。」
「また」と仏は続けました。「気性の荒い人々がいて、すぐに怒りを表します。もし彼らが常に観世音菩薩のことを思い、真心を込めて菩薩を敬えば、その性格は良くなり、怒りを感じにくくなるでしょう。」
「さらに」と仏は言われました。「物事の道理がよく分からず、混乱している人々もいます。もし彼らが常に観世音菩薩のことを思い、真心を込めて菩薩を敬えば、その心は明晰になり、世の中の道理をより良く理解できるようになるでしょう。」
仏の言葉は、その場にいた全ての人々の心を深く揺さぶりました。彼らは、観世音菩薩を真心から信仰し敬うことで、菩薩の加護を得て、様々な困難や煩悩を克服できることを理解しました。これは彼らに観世音菩薩への深い敬意を抱かせただけでなく、自身の修行の道にも確信を持たせることとなりました。
「無尽意よ!観世音菩薩はこのような大いなる威神力を持ち、多くの利益をもたらします。それゆえに、衆生は常に心に念じるべきです。もし女性が男児を求めるなら、観世音菩薩を礼拝供養すれば、福徳と智慧を持つ男児が生まれるでしょう。もし女児を求めるなら、端正で相好を具えた女児が生まれ、徳の根を植えた者として、多くの人々から愛され敬われるでしょう。無尽意よ!観世音菩薩はこのような力を持っています。もし衆生が恭敬して観世音菩薩を礼拝するなら、その福は無駄にはなりません。それゆえに、衆生は皆、観世音菩薩の名号を受持すべきです。」
仏は無尽意菩薩に観世音菩薩の不思議な力について語り続け、その声は慈愛と智慧に満ちていました:
「無尽意よ」と仏は微笑んで言われました。「観世音菩薩はこのように強大な神通力を持ち、多くの人々を助けることができます。だからこそ、皆は常に菩薩のことを思うべきです。」
そして、仏は興味深い話題を取り上げました:「知っていますか?もし女性が男児を望むなら、心を込めて観世音菩薩に祈り、恭しく菩薩を供養すれば、福徳と知恵を持つ男児を授かることができます!」
「同様に」と仏は続けました。「もし女児を望むなら、観世音菩薩を礼拝することで、美しく愛らしく、皆から好かれる女児を授かることができます。この女児は良い品性を持ち、すべての人から愛され、敬われるでしょう。」
仏は慈悲深い笑顔を浮かべ、言われました:「無尽意よ、観世音菩薩は本当にこのような不思議な力を持っているのです。」
「だからこそ」と仏は結論付けました。「もし人が恭しく観世音菩薩を礼拝するなら、その心は決して無駄にはなりません。必ず良い結果が得られるでしょう。」
最後に、仏は厳かに言われました:「このような理由で、私はすべての人に観世音菩薩の名号を覚え、常に念じることを勧めます。そうすれば、皆が菩薩の加護と助けを得ることができるでしょう。」
聞き終えた無尽意菩薩と、その場にいた全ての人々は、観世音菩薩の慈悲と力に深く感動しました。彼らは、真心から観世音菩薩を信仰し敬えば、どんな困難に遭っても菩薩の助けを得られることを理解しました。これは彼らに未来への希望と信念を与えました。
「無尽意よ!もし人が六十二億の恒河沙ほどの菩薩の名前を受持し、さらに一生涯にわたって飲食、衣服、臥具、医薬を供養したとして、あなたはどう思いますか?この善男子、善女人の功徳は多いでしょうか?」無尽意は答えました:「とても多いです!世尊!」仏は言われました:「もしまた、ある人が観世音菩薩の名号を受持し、たとえ一時的に礼拝供養するだけでも、この二人の福は全く同じで、百千万億劫を経ても尽きることがありません。無尽意よ!観世音菩薩の名号を受持することで、このような無量無辺の福徳の利益を得ることができるのです。」
仏は無尽意菩薩に語り続け、今度は観世音菩薩の不思議な力を説明するために興味深い譬えを用いられました:
「無尽意よ」と仏は言われました。「想像してみてください。もし人が六十二億の恒河の砂ほどの数の菩薩の名前を覚え、そして一生涯にわたって美味しい食事、美しい衣服、快適な寝具、そしてあらゆる薬を供養したとしたら。あなたは、この人が積み重ねた功徳はどれほどだと思いますか?」
無尽意菩薩は考えて、感嘆して言いました:「ああ!世尊、それは非常に非常に多くの功徳でしょう!」
仏は微笑んで頷き、続けて言われました:「しかし、もし別の人が、ただ観世音菩薩の名号を覚え、たとえ短い時間だけ菩薩に礼拝し供養したとしても、どうなると思いますか?」
「この二人が得る福報は、まったく同じなのです!」と仏は言われました。「そして、この福報はあまりにも大きく、数え切れない年月が過ぎても使い尽くすことができないのです!」
仏の目は智慧の光を放ち、こう結論付けられました:「無尽意よ、ご覧なさい。ただ心を込めて観世音菩薩の名号を覚え、念じるだけで、想像もできないほどの大きな福報を得ることができるのです。この福報の大きさは、言葉では表現できないほどです!」
これを聞いた無尽意菩薩とその場にいた全ての人々は驚きました。彼らは、観世音菩薩の名号がいかに不思議で貴重なものであるかを、ようやく理解しました。その日から、皆はより一層敬虔に観世音菩薩の名号を念じ、菩薩の加護と尽きることのない福報を得られることを願いました。
「無尽意菩薩が仏に申し上げました。世尊よ、観世音菩薩はどのようにしてこの娑婆世界を巡られるのでしょうか。どのように衆生のために法を説かれるのでしょうか。方便の力は、どのようなものなのでしょうか?」
無尽意菩薩は仏の説明を聞き終えた後、心に新たな疑問が湧き上がりました。彼は恭しく仏に尋ねました:
「世尊よ」と無尽意菩薩は言いました。「私たちは観世音菩薩がいかに不思議で慈悲深いかを知りました。しかし、まだいくつか質問させていただきたいことがあります。」
仏は慈愛に満ちた眼差しで無尽意菩薩を見つめ、続けるよう促されました。
無尽意菩薩は深く息を吸い、こう尋ねました:「観世音菩薩は、この苦しみに満ちた世界でどのように活動されているのでしょうか?」
「そして」と彼は続けました。「菩薩はどのように衆生に仏法を説かれるのでしょうか?」
最後に、無尽意菩薩は最も知りたかった質問をしました:「観世音菩薩には、衆生を助けるために何か特別な方法があるのでしょうか?より詳しくお教えいただけないでしょうか?」
仏は無尽意菩薩に告げられました。善男子よ:「もしある国土の衆生が、仏の姿によって救われるべき者であれば、観世音菩薩は仏の姿を現して、その者のために法を説きます。」
仏は無尽意菩薩の質問を聞き終えると、慈悲深い微笑みを浮かべられました。そして、穏やかながらも確固とした声で答え始められました:
「善き子よ」と仏は言われました。「観世音菩薩がどのように衆生を助けるのか、お話ししましょう。」
仏の目は智慧の光を放ち、説明されました:「この世界には、仏の姿に特に心を動かされる人々がいます。そのような人々に対して、観世音菩薩はどうされるでしょうか?」
仏は一瞬間を置いて、こう言われました:「菩薩は不思議にも仏の姿に変化して、その人々の前に現れるのです!」
「このようにして」と仏は続けられました。「観世音菩薩は仏の姿で、これらの人々に仏法の道理を説かれます。人々は自分たちが親しみ、敬う仏の姿を見ることで、より容易にその教えを理解し、受け入れることができるのです。」
これを聞いた無尽意菩薩とその場の全ての人々は驚嘆の声を上げました。彼らは、観世音菩薩の慈悲と智慧がいかに測り知れないものであるかを、ようやく理解しました。菩薩は衆生が仏法をより良く理解できるよう、様々な姿に変化することができるのです!
辟支仏の姿によって救われるべき者には、辟支仏の姿を現して法を説きます。声聞の姿によって救われるべき者には、声聞の姿を現して法を説きます。梵王の姿によって救われるべき者には、梵王の姿を現して法を説きます。
仏は皆の驚いた表情を見て、慈悲深く説明を続けられました:
「子どもたちよ、観世音菩薩の神通力はこれだけではありませんよ。」と仏は微笑んで言われました。
「ある人々は」と仏は説明されました。「独りで修行し、悟りを開く辟支仏を特に仰ぎ見ています。そのような人々に対して、観世音菩薩はどうされるでしょうか?」
仏は一瞬間を置いて、こう言われました:「菩薩は辟支仏の姿に変化して、彼らに仏法を説かれます。このようにして、これらの人々はより容易に教えを理解し、受け入れることができるのです。」
「また、ある人々は」と仏は続けられました。「仏の弟子たち——仏法を聞いて悟りを開いた声聞たちに特に親しみを感じています。そのような人々に対して、観世音菩薩は声聞の姿となって教えを説かれるのです。」
仏の目は智慧の光を放ち、さらに言われました:「また、ある人々は天界の大梵天王を特に崇拝しています。観世音菩薩はどうされると思いますか?」
「そうです」と仏は笑みを浮かべて言われました。「菩薩は威厳ある梵王の姿に変化して、これらの人々に仏法の道理を説かれるのです。」
帝釈の姿によって救われるべき者には、帝釈の姿を現して法を説きます。自在天の姿によって救われるべき者には、自在天の姿を現して法を説きます。大自在天の姿によって救われるべき者には、大自在天の姿を現して法を説きます。
仏は皆の目に宿る驚きと敬愛の念を見て、慈悲深く語り続けられました:
「子どもたちよ、観世音菩薩の神通変化はまだまだ続きますよ。」と仏は微笑んで言われました。
「私たちの世界には」と仏は説明されました。「天界の帝釈天王を特に崇拝する人々がいます。そのような人々に対して、観世音菩薩はどうされると思いますか?」
仏は一瞬間を置いて、こう言われました:「そうです、菩薩は威厳ある帝釈天王の姿に変化して、彼らに仏法の道理を説かれるのです。」
「また、ある人々は」と仏は続けられました。「自在天に特に親しみを感じています。この天神は思いのままに変化することができ、多くの人々が羨望の念を抱いています。そのような人々に対して、観世音菩薩は自在天の姿となって、彼らの馴染みある姿で教えを説かれるのです。」
仏の目は智慧の光を放ち、さらに言われました:「また、ある人々は大自在天——より強大な天神を特に崇拝しています。観世音菩薩はどうされると思いますか?」
「そうです」と仏は笑みを浮かべて言われました。「菩薩は威厳ある大自在天の姿に変化して、これらの人々に仏法の奥義を説かれるのです。」
天大将軍の姿によって救われるべき者には、天大将軍の姿を現して法を説きます。毘沙門天の姿によって救われるべき者には、毘沙門天の姿を現して法を説きます。小王の姿によって救われるべき者には、小王の姿を現して法を説きます。
仏は皆の驚いた表情を見て、慈悲深く観世音菩薩の不思議な変化について説き続けられました:
「子どもたちよ、観世音菩薩の化身はまだまだ続きますよ。」と仏は優しく言われました。
「天界には」と仏は説明されました。「威厳ある天兵天将がいます。ある人々は特にこれらの天大将軍を崇拝しています。観世音菩薩はどうされると思いますか?」
仏は微笑んで言われました:「そうです、菩薩は威厳ある天大将軍の姿に変化して、この姿で彼らに仏法を説かれるのです。」
「また、有名な天神がいます」と仏は続けられました。「毘沙門天王と呼ばれる北方を守護する天神です。多くの人々が彼を敬っています。このような人々に対して、観世音菩薩は毘沙門天王の姿となって、彼らに仏法を教えられるのです。」
仏の目は智慧の光を放ち、さらに言われました:「この世界には、地域の王や領主を特に敬う人々がいます。観世音菩薩はどうされると思いますか?」
「そうです」と仏は笑みを浮かべて言われました。「菩薩は威厳ある王や領主の姿に変化して、彼らの馴染みある姿で仏法の道理を説かれるのです。」
長者の姿によって救われるべき者には、長者の姿を現して法を説きます。居士の姿によって救われるべき者には、居士の姿を現して法を説きます。宰官の姿によって救われるべき者には、宰官の姿を現して法を説きます。
仏は皆の顔に驚きと敬意が満ちているのを見て、慈悲深く観世音菩薩の不思議な変化について説き続けられました:
「子どもたちよ、観世音菩薩の化身はまだまだ続きますよ。」と仏は優しく言われました。「私たちの人間社会で、菩薩がどのように様々な人々を助けているのか見てみましょう。」
「私たちの町には」と仏は説明されました。「徳の高い長者がいます。彼らは年長で経験豊富で、多くの人々から尊敬されています。ある人々は特にこれらの長者の教えを聞きたがっています。観世音菩薩はどうされると思いますか?」
仏は微笑んで言われました:「そうです、菩薩は慈悲深い長者の姿に変化して、この姿で彼らに仏法を説かれるのです。」
「また、ある人々は」と仏は続けられました。「富裕でありながら名利を求めない居士を特に敬っています。このような人々に対して、観世音菩薩は居士の姿となって、彼らに仏法を教えられるのです。」
仏の目は智慧の光を放ち、さらに言われました:「朝廷には、正直な官吏を特に尊敬する人々がいます。観世音菩薩はどうされると思いますか?」
「そうです」と仏は笑みを浮かべて言われました。「菩薩は正直な官吏の姿に変化して、彼らの馴染みある姿で仏法の道理を説かれるのです。」
これを聞いた無尽意菩薩と在席の全ての人々は驚嘆の念を禁じ得ませんでした。彼らは、観世音菩薩の慈悲と智慧がいかに細やかであるかを理解しました。徳の高い長者、慈善を好む居士、正直な官吏など、菩薩はそれぞれの姿に変化して、最も適した方法で衆生を教導されるのです。
婆羅門の姿によって救われるべき者には、婆羅門の姿を現して法を説きます。比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の姿によって救われるべき者には、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の姿を現して法を説きます。長者、居士、宰官、婆羅門の婦女の姿によって救われるべき者には、婦女の姿を現して法を説きます。
仏は皆の目に理解と敬意の光が宿るのを見て、慈悲深く観世音菩薩の不思議な変化について説き続けられました:
「子どもたちよ、観世音菩薩の慈悲と智慧には、まだまだ私たちが学ぶべきことがありますよ。」と仏は優しく言われました。
「インドには」と仏は説明されました。「婆羅門と呼ばれる、古い経典を研究する人々がいます。ある人々は特にこれらの婆羅門を尊敬しています。観世音菩薩はどうされると思いますか?」
仏は微笑んで言われました:「そうです、菩薩は博学な婆羅門の姿に変化して、この姿で彼らに仏法を説かれるのです。」
「私たちの仏教団体には」と仏は続けられました。「出家した比丘と比丘尼、在家修行の優婆塞と優婆夷がいます。このような人々に対して、観世音菩薩は彼らの一員となって、より深い仏法を教えられるのです。」
仏の目は智慧の光を放ち、さらに言われました:「時として、女性は女性からの教えをより受け入れやすいものです。観世音菩薩はどうされると思いますか?」
「そうです」と仏は笑みを浮かべて言われました。「長者、居士、官吏、婆羅門の妻など、女性がより受け入れやすい場面では、菩薩は女性の姿に変化して、彼女たちの馴染みある姿で仏法の道理を説かれるのです。」
これを聞いた無尽意菩薩と在席の全ての人々は驚嘆の念を禁じ得ませんでした。彼らは、観世音菩薩の慈悲と智慧がいかに行き届いているかを理解しました。知識豊かな婆羅門、敬虔な仏教徒、様々な立場の女性など、菩薩はそれぞれの姿に変化して、最も適した方法で衆生を教導されるのです。
童男童女の姿によって救われるべき者には、童男童女の姿を現して法を説きます。天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等の姿によって救われるべき者には、それぞれの姿を現して法を説きます。執金剛神の姿によって救われるべき者には、執金剛神の姿を現して法を説きます。
仏は皆の顔に驚きと敬意が満ちているのを見て、優しく観世音菩薩の不思議な変化について説き続けられました:
「子どもたちよ、観世音菩薩の慈悲は本当に限りないものですね。」と仏は慈悲深く言われました。
「時として」と仏は説明されました。「子どもたちは他の子どもからの言葉をより受け入れやすいものです。観世音菩薩はどうされると思いますか?」
仏は微笑んで言われました:「そうです、菩薩は可愛らしい少年少女の姿に変化して、彼らの馴染みある方法で仏法を説かれるのです。」
「私たちの世界には」と仏は続けられました。「多くの不思議な存在がいます。天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、そして普段目にすることのない存在たちです。これらの衆生に対して、観世音菩薩は彼らの一員となって、仏法を教えられるのです。」
仏の目は智慧の光を放ち、さらに言われました:「執金剛神と呼ばれる、特別に強力な神々がいます。彼らは力が強大で、仏法を守護しています。ある人々は特に彼らを崇拝しています。観世音菩薩はどうされると思いますか?」
「そうです」と仏は笑みを浮かべて言われました。「菩薩は威厳ある執金剛神の姿に変化して、彼らの馴染みある姿で仏法の道理を説かれるのです。」
これを聞いた無尽意菩薩と在席の全ての人々は驚嘆の念を禁じ得ませんでした。彼らは、観世音菩薩の慈悲と智慧がいかに広大無辺であるかを理解しました。純真な子どもたち、不思議な異類の衆生、威厳ある護法神など、菩薩はそれぞれの姿に変化して、最も適した方法で彼らを教導されるのです。
「無尽意よ!この観世音菩薩はこのような功徳を成就し、様々な姿をもって諸国土を遊化し、衆生を救済されるのです。それゆえ、あなたがたは一心に観世音菩薩を供養すべきです。この観世音菩薩摩訶薩は、恐れと危難の中にあって無畏を施すことができるのです。それゆえに、この娑婆世界では皆、施無畏者と呼ぶのです。」
仏はここまで話すと、慈愛と讃嘆の表情を浮かべられました。無尽意菩薩と在席の全ての人々を見つめながら、優しくまとめられました:
「無尽意よ、ご覧なさい。観世音菩薩にはこのような不可思議な神通と功徳があるのです。」と仏は慈悲深く言われました。「菩薩は様々な姿に変化して、あらゆる国土を巡り、無数の衆生を救済されるのです。」
仏の声はより荘厳になりました:「観世音菩薩がこれほど偉大であるからこそ、あなたがたは皆、心を込めて供養し、尊敬すべきなのです。」
続いて、仏は説明されました:「観世音菩薩には特別な力があります。衆生が恐ろしい危険に遭遇したり、緊急の困難に陥ったりした時、菩薩は彼らに無畏の力を与え、恐れを取り除くことができるのです。」
仏は微笑んで言われました:「このような理由から、この苦難に満ちた世界で、皆は観世音菩薩を『施無畏者』—つまり、人々に勇気と安心を与える方—と呼ぶのです。」
これを聞いた無尽意菩薩と在席の全ての人々は、観世音菩薩の大慈大悲に深く感動しました。彼らは理解しました。自分が誰であれ、どのような困難に遭遇しようとも、誠心誠意で観世音菩薩の名号を唱えれば、必ず菩薩の加護と助けを得られるのだと。
「無尽意菩薩は仏に申し上げました:『世尊よ!私は今、観世音菩薩に供養いたしたく存じます。』そして、首から価値百千両の金に値する宝珠の瓔珞を解いて、これを差し出して言いました:『仁者よ!この法施の珍宝の瓔珞をお受け取りください。』しかし、その時、観世音菩薩はこれを受け取ろうとはされませんでした。無尽意は再び観世音菩薩に申し上げました:『仁者よ!私たちを憐れんで、この瓔珞をお受け取りください。』その時、仏は観世音菩薩に告げられました:『この無尽意菩薩と四衆、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等を憐れんで、この瓔珞を受け取りなさい。』
仏が観世音菩薩の神通と慈悲について語り終えると、無尽意菩薩は深く感動し、敬意を表そうと決心しました。この感動的な場面が私たちの目の前で展開されました:
無尽意菩薩は立ち上がり、恭しく仏に申し上げました:「世尊よ、私は観世音菩薩に供養したいと存じます。」
そう言うと、自分の首から宝珠の瓔珞を解きました。この瓔珞は非常に貴重で、百千両の金に値するものでした。無尽意菩薩はそれを手に捧げ持ち、観世音菩薩に向かって誠実に申し上げました:「尊敬する菩薩よ、この法施の珍宝の瓔珞をお受け取りください。」
しかし、意外にも、観世音菩薩はこの贈り物を受け取ろうとはされませんでした。
無尽意菩薩は心配になり、再び懇願しました:「尊敬する菩薩よ、私たちを憐れんで、この瓔珞をお受け取りください。」
この時、仏が口を開かれ、観世音菩薩に言われました:「観世音菩薩よ、無尽意菩薩の心意を憐れんでください。そして、在席の四衆弟子、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、そして他の全ての衆生のために、この瓔珞を受け取りなさい。」
この場面は、無尽意菩薩の誠実さと寛大さ、そして観世音菩薩の謙虚さを私たちに示しています。さらに重要なことに、仏の智慧を理解することができます—仏は観世音菩薩に、供養を受けることは個人のためだけではなく、全ての衆生の福祉のためであることを思い出させたのです。この物語は、真の慈悲と智慧とは、全ての衆生の利益を考慮に入れなければならないことを教えています。
「その時、観世音菩薩は四衆と天、龍、人非人等を憐れんで、その瓔珞を受け取り、二分して:一分は釈迦牟尼仏に奉り、一分は多宝仏の塔に奉りました。無尽意よ!観世音菩薩はこのような自在神力を持ち、娑婆世界を遊化されるのです。」
仏の言葉を聞いて、観世音菩薩の目には慈悲の光が輝きました。この時、感動的な場面が皆の目の前で展開されました:
観世音菩薩は優しく微笑み、無尽意菩薩と在席の全ての衆生を慈愛の眼差しで見つめられました。菩薩は静かにその貴重な瓔珞を受け取られ、皆は菩薩の大慈大悲を感じました。
そして、観世音菩薩は皆を驚かせる行動を取られました。菩薩は丁寧に瓔珞を二つに分けられたのです。
「ご覧なさい」と仏は説明されました。「観世音菩薩は瓔珞の半分を私—釈迦牟尼仏に供養されました。」
「そして、もう半分は」と仏は続けられました。「菩薩は多宝仏の塔に供養されたのです。」
仏は無尽意菩薩を見つめ、慈悲深く言われました:「無尽意よ、あなたは見ましたか?観世音菩薩にはこのような不思議な力と智慧があるのです。菩薩はこの苦難に満ちた世界で、自在に衆生を助け、同時に諸仏を尊敬することも忘れないのです。」
その時、無尽意菩薩は偈をもって問いました:
仏が観世音菩薩の物語を語り終えた後、無尽意菩薩の心にはまだ疑問が残っていました。彼は美しい詩で自分の好奇心を表現することを決めました。この場面は、知恵と美しさに満ちた光景を私たちに見せてくれました:
無尽意菩薩は立ち上がり、恭しく仏に向かいました。彼は深く息を吸い、そして美しい声で詠唱し始めました:
世尊は妙相を具え、私は今再び問います。仏子はどのような因縁で、観世音と名付けられたのでしょうか。妙相を具えた尊き方は、無尽意に偈で答えられました。観音の行いを聞きなさい、諸方に善く応じられることを。
その美しい仏国浄土で、知恵に満ちた対話が行われていました。無尽意菩薩の心にはまだ疑問があり、美しい詩で仏に尋ねました:
「尊敬する世尊よ、あなたは最も素晴らしい相好を持っておられます。今日、私は再びお尋ねしたいことがあります。なぜこの仏弟子は『観世音』と呼ばれるのでしょうか?」
仏はこれを聞き、慈悲深い微笑みを浮かべられました。この質問が無尽意菩薩だけでなく、在席の全ての人々の心の中にある疑問であることを知っておられました。そこで、仏も詩で答えられました:
「完全な相好を持つ無尽意よ、私は詩であなたの疑問に答えましょう。観音菩薩の事跡、いかに随所に現れて衆生を助けるかを、よく聞きなさい。」
弘誓は海のように深く、劫を経ても不思議なり。千億の仏に仕え、大いなる清浄なる願を発す。我汝のために略して説かん、名を聞き身を見るを。心に念じて空しく過ぎず、諸々の苦を滅することができる
仏は知恵と慈愛に満ちた声で、語り続けられました:
「観音菩薩の誓願は海のように深く、数え切れない劫の時を経ても、変わることはありません。この願力は実に不思議で、私たちの理解を超えています。
菩薩は千億の仏に仕え、長い修行の過程で、最も崇高で清らかな願い、全ての苦しむ衆生を助けようという願いを立てられました。
簡単に申しましょう。観音菩薩の名を聞き、あるいは菩薩の姿を見て、心から祈れば、必ず応えがあります。
心から観音を呼べば、あなたの祈りは決して空しくなりません。菩薩の慈悲の力は限りなく、世の中の全ての苦しみを消すことができるのです。」
たとえ害意を起こし、大火坑に突き落とされても。観音力を念ずれば、火坑は池と変わる。あるいは巨海を漂流し、龍魚諸鬼の難に遭うとも。観音力を念ずれば、波浪も没することなし
仏の声は温かさと力強さを持って続きました:
「たとえば、誰かがあなたを傷つけようとして、燃え盛る大きな火の穴に突き落としたとしても。ただ心から観音菩薩を念じれば、奇跡が起こり、火の穴は清らかな池となるでしょう。
また、あなたが大海で危険に遭い、恐ろしい龍や魚、水鬼に囲まれたとしても。ただ一心に観音菩薩を呼べば、大きな波もあなたを飲み込むことはできないでしょう。」
あるいは須弥峰にあって、人に突き落とされても。観音力を念ずれば、日のごとく虚空に住す。あるいは悪人に追われ、金剛山に落とされても。観音力を念ずれば、一毛も損なわれず
仏は穏やかで力強い声で語り続けられました:
「須弥山の頂に立っているときに、誰かがあなたを突き落とそうとしても。ただ心から観音菩薩を呼べば、あなたは太陽のように空中に安定して留まることができるでしょう。
また、悪人に追われて、金剛のように硬い大きな山から落ちたとしても。ただ一心に観音菩薩の名号を念じれば、一本の髪の毛さえも傷つくことはないでしょう。」
あるいは怨賊に囲まれ、各々刀を執って害せんとするも。観音力を念ずれば、みな即ち慈心を起こす。あるいは王難の苦に遭い、臨刑にて命終わらんとするも。観音力を念ずれば、刀は段々に壊れる
仏の声は穏やかで確かに続きました:
「悪人たちに囲まれ、彼らが刃物を持ってあなたを傷つけようとしても。ただ心から観音菩薩を呼べば、奇跡が起こり、これらの人々は突然優しい心を持つようになるでしょう。
また、不幸にも冤罪で投獄され、死刑の執行を目前にしているときでも。ただ一心に観音菩薩の名号を念じれば、処刑の刀は突然粉々に砕けるでしょう。」
あるいは枷鎖に囚われ、手足に械を掛けられても。観音力を念ずれば、たちまち解脱を得る。呪詛や諸毒薬にて、身を害せんとする者も。観音力を念ずれば、本人に返り着く
仏は穏やかで力強い声で語り続けられました:
「牢獄に閉じ込められ、手足が重い鎖で縛られていても。ただ心から観音菩薩を呼べば、奇跡が起こり、鎖は自然に解けて、あなたは自由を取り戻すでしょう。
また、誰かが呪いや毒薬であなたの体を傷つけようとしても。ただ一心に観音菩薩の名号を念じれば、その害はその人自身に跳ね返り、あなたを傷つけようとした人を傷つけることになるでしょう。」
あるいは悪羅刹に遭い、毒龍諸鬼等に遭うとも。観音力を念ずれば、時に皆害することを敢えてせず。もし悪獣に囲まれ、利牙爪恐るべきも。観音力を念ずれば、疾く走りて辺方なし
仏の声は温かさと力強さを持って続きました:
「旅の途中で恐ろしい羅刹や、毒龍、その他の恐ろしい妖怪に出会っても。ただ心から観音菩薩を呼べば、これらの恐ろしい生き物はあなたを傷つける勇気を失うでしょう。
また、凶暴な獣たちに囲まれ、彼らが血に飢えた口を開け、鋭い爪を見せても。ただ一心に観音菩薩の名号を念じれば、これらの獣たちは素早く逃げ去り、姿を消すでしょう。」
蚖蛇及び蝮蠍、気毒の煙火燃えても。観音力を念ずれば、声を聞きて自ら去る。雲雷鼓掣電、雹降り大雨注ぐも。観音力を念ずれば、応時に消散を得る
仏は穏やかで確かな声で語り続けられました:
「毒蛇や蠍に出会い、彼らが火のような毒気を吐いても。ただ心から観音菩薩を呼べば、これらの恐ろしい生き物は自ら立ち去るでしょう。
また、空が暗雲に覆われ、雷が鳴り、稲妻が光り、雹と大雨が激しく降っても。ただ一心に観音菩薩の名号を念じれば、この恐ろしい天候は直ちに消え去るでしょう。」
衆生困厄に遭い、無量の苦身を逼るも。観音の妙智力は、世間の苦を救うことができる。神通力を具足し、智方便を広く修す。十方の諸国土に、現れざる剎なし
仏の声はより柔らかく、慈悲に満ちたものとなりました:
「子供たちよ、世の中には多くの人々が困難に直面し、数え切れない苦しみに悩まされています。しかし、観音菩薩は不思議な智慧の力を持ち、世の中のあらゆる苦しみを救うことができます。」
仏は一旦言葉を止め、周りを見渡し、全員が真剣に聞いていることを確認しました。そして、続けて言いました:「観音菩薩は完全な神通力を持ち、様々な巧みな方法で衆生を助けています。十方世界のどこであっても、助けを必要とする人がいれば、観音菩薩はその場に現れて助けてくださいます。」
種々の諸悪趣、地獄鬼畜生。生老病死の苦、漸を以て悉く滅せしむ。真観清浄観、広大智慧観。悲観及び慈観、常に願い常に瞻仰す
仏の目には智慧の光が輝き、続けて語りました:
「子供たちよ、この世界には多くの苦しみの境遇があります。地獄に落ちる者もいれば、餓鬼となる者も、畜生となる者もいます。人として生まれても、私たちは生老病死の苦しみに直面しなければなりません。」
仏の声はより優しくなりました:「しかし、観音菩薩の力は非常に強く、これらの苦しみを徐々に消し去り、すべての生命を解脱させることができます。」
仏は少し間を置き、皆がこれらの言葉の深い意味を理解できるようにしてから、続けました:「観音菩薩の観察は純粋で真実であり、その智慧は海のように深く広大です。その眼差しには慈悲と愛が満ち溢れ、永遠に私たち一人一人を見守っています。」
無垢清浄の光、慧日諸闇を破る。災風火を伏すことができ、普く世間を照らす。悲体戒雷震、慈意妙大雲。甘露法雨を注ぎ、煩悩の焔を滅除す
仏の声はより感動的になり、続けて語りました:「子供たちよ、観音菩薩は汚れのない純粋な光のようです。その智慧は太陽のように、あらゆる闇を払いのけることができます。」
仏は微笑みながら、観音菩薩の力を生き生きとした比喩で描写しました:「災難が嵐や炎のように襲ってきても、観音菩薩の力はこれらの危険を鎮めることができます。その光明は世界全体を照らし、すべての場所に希望をもたらします。」
仏の声は突然低くなり、まるで雷鳴のようでした:「観音菩薩の慈悲は雷のように人々の心を震わせ、その善意は巨大な祥雲のようです。」
そして、仏の口調は再び柔らかくなりました:「この雲から、観音菩薩は甘露の法雨を降らせます。この法雨は私たちの心の煩悩の炎を消し去り、私たちの心に清涼と安らぎをもたらします。」
諍訟官に経る処、怖畏軍陣の中。観音力を念ずれば、衆怨悉く退散す。妙音観世音、梵音海潮音。世間の音に勝れ、是の故に須く常に念ずべし
仏は皆を見渡しながら、穏やかで確固とした声で続けました:「子供たちよ、人生では恐ろしい状況に遭遇することは避けられません。例えば、訴訟に巻き込まれ法廷に立つとき、あるいは戦場で敵に囲まれているときなどです。」
仏は一旦言葉を止め、これらの言葉が聴衆の心に沁みわたるのを待ってから、微笑んで言いました:「しかし、心から誠実に観音菩薩を呼べば、不思議なことが起こります。あなたに害をなそうとする人々や事柄は、引き潮のように消え去ってしまいます。」
仏の声はより柔らかくなり、まるで美しい絵を描くかのようでした:「観音菩薩の声は非常に素晴らしく、天界の梵音のようであり、また海の潮のリズムのようです。この声は世の中のあらゆる音を超越し、人々の心に直接届き、一人一人の魂を癒すことができます。」
仏は周りを見渡し、聴衆が皆真剣に聞き入っているのを見ました。彼は重々しく言いました:「観音菩薩がこのように不思議な力を持っているからこそ、私たちは常に菩薩の名号を唱えるべきです。そうすれば、どんな困難に遭遇しても、菩薩の加護と導きを得ることができます。」
念々疑いを生ずることなかれ、観世音浄聖。苦悩死厄において、依怙と為ることができる。一切の功徳を具え、慈眼もて衆生を視る。福聚海無量なり、是の故に頂礼すべし
仏の目には智慧の光が輝き、その声はより確固として温かいものとなりました:「子供たちよ、観音菩薩の名号を唱えるとき、心に少しの疑いも持ってはいけません。観世音菩薩は純粋で聖なる大菩薩であり、その力は疑う余地のないものです。」
仏は軽くため息をつき、その声には同情と理解が満ちていました:「この世界では、私たちは苦しみや悩み、さらには死の脅威に直面することは避けられません。しかし、覚えておいてください。観音菩薩は常にそこにいて、私たちの確かな依り所となり、守護者となってくださいます。」
仏の顔には慈愛に満ちた微笑みが浮かびました:「観音菩薩はすべての素晴らしい徳を備えています。菩薩は慈愛の眼差しですべての生命を見守っています。まるで母親が自分の子供を見つめるように。菩薩の積み重ねた福徳は広大な海のように、測り知れません。」
仏は周りを見渡し、聴衆の顔に畏敬の念と感動の表情が浮かんでいるのを見ました。彼はゆっくりと言いました:「観音菩薩がこのように偉大であるからこそ、私たちは菩薩に頭を下げ、最も誠実な敬意と感謝の気持ちを表すべきです。」
その時持地菩薩は即座より起ち、仏の前に白して言わく:「世尊よ!もし衆生この観世音菩薩品、自在の業普門示現神通力を聞かば、当に知るべし、この人の功徳少なからず」と。仏この普門品を説き給いし時、衆中の八万四千の衆生は皆無等等阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。
そのとき、持地という名の菩薩が席から立ち上がりました。彼は恭しく仏の前に進み、両手を合わせて言いました:「尊敬する世尊よ、もし誰かがあなたの説かれた観世音菩薩品を聞き、菩薩の自在な働きと普門示現の神通力を理解したならば、その人は必ず計り知れない功徳を得るでしょう。」
仏は持地菩薩の言葉を聞き、満足げに頷きました。仏は周りを見渡し、その場にいる一人一人を見つめながら、穏やかで確固とした声で言いました:「持地菩薩の言う通り、観音菩薩の功徳を聞くことは確かに大きな利益をもたらします。」
突然、不思議な波動が会場全体に広がりました。仏は微笑みながら宣言しました:「この普門品を説いている間に、ここにいる八万四千の衆生が、無上正等正覚の心を発しました。これは彼らが観音菩薩のような覚者となり、より多くの人々を苦海から救い出そうと決意したことを意味します。」
この知らせを聞いて、その場にいた全員が喜びに満ちあふれました。喜びのあまり涙を流す者もいれば、興奮して立ち上がって歓声を上げる者もいました。会場全体が喜びと感謝の雰囲気に包まれました。皆、仏の説く観音菩薩の功徳を聞くことで、智慧を得ただけでなく、成仏の種子が心に植えられたことを深く実感しました。
仏は慈愛に満ちた眼差しで皆を見つめ、この法会が最高の効果を上げたことを知りました。仏はこの殊勝な法会を円満に締めくくろうとしながら、より多くの人々が大慈大悲の観世音菩薩を理解し、親しむことを期待していました。